私の場合

とつぜん、すごい詩(と、そのときは思える)が一行、頭の右横あたりに涌いてきて、う きうきしながらそれを書き留めてゆくうちに、エンピツがどんどん、自分でも思いがけな いようなことを書き進めてゆく。それを読みかえしてみて、いい詩だ、と思えたら、一篇 の誕生なのだ。そして、初めのあのすごいと思った一行はたいてい不用物として取りのぞ くことになる。もったいながって、どこか押し込むところがないかと、あっちこっちつっ 込んでみるのだが、どこへ入れてもじゃまくさい。(これって、人中の自分に似ていて身 につまされる。まともだとうぬぼれているのに、とけ込もうとすればするほどよけい浮い てしまうのだ。) で、切り捨てる。いくらもったいなくても、それを書き留めて置くよ うなことはしない。頭のどこかに残っていて、また出てくるようなことがあるときもある し、そのまま消えてしまうことの方が多い。
一篇の詩ができたあと、部分的に言葉や行を変えたりするとき、自分の詩の中にいるう ちにしなければならない。まだ出来上がらないうちに外側から見てしまうと、その詩全部 を否定したくなるときがあるのだ。

 

同じ詩を三回書いてみる。三回ともどこかちがった部分がある。どれがいいかわからな くなる。ここはこっちの方がいいし、ここはこっちの方がいいように思える。で、四回目 を書いてみる。と、またちがった場所がでてくる。しばらく放っとく。それからも一度書 いてみると、たいてい最初のものとほぼ同じものになっている。これらのとき、自分では みんな同じに書いてるつもりなのだ。同じはずの言葉が、その度の気分で無意識にちがう ものがでてくるのだ。こんな事していても飽きないで書き上げられれば本物だ、と思って いたのに、活字にしてから、だれにも目にとめてもらえないこともある。そして自分でも だめな詩のような気になってくる、という場合もある。書いてる途中で、書き進んでゆくのがつらいときもある。でもなんとなく捨てかねて、 がまんして書き上げたものが、いい詩だとほめられたりする。

  (一連略) とらは おりの中で/おう!おう!と ほえながら
  /草原を走っているゆめをみていた/火事は とらの口の中へ
  /もえうつって/ほえて!ほえて!ほえても、ほえきれない/
  とらのかなしみまでもやした/(段落)焼け死んだとらを/雨
  がぬらしている/(段落)学校へ行くみちみち わたしたちは
  /火事の話をしながら あるいた/
  (「火事」──少年少女詩集(出版予定)の中から)

夢を書き写すだけのものもある。以前は、忠実に夢の記録をしただけで一篇の詩になっ たが、最近は、途中からあやふやになったり散漫になったりして、別のイメージをくっつ けて一篇になることの方が多い。

  こわれためがねを出すと、医者は/ああこれですかといってそ
  れを水につけながら/こうしてしばらくようすをみますから/
  そこにかけて待っていてください、という

このあと、座って待ちながら自分の気持ちをつづけた。が、それは現実っぽすぎて興醒 めだ。で、消す。

  待っても待っても/それっきりなんにも言わないので/おそる
  おそるきいてみると/死んだ者のめがねなんか、いまさら/ど
  うしようもないんですよ/あきらめるかそうして待ちつづける
  しかないでしょう、という/

このあたりは夢と、現実の医者に対する忿懣を皮肉ったのとがごっちゃにまざっている。 まだ足りなくて、ぐちもつづけた。が、それは書きすぎだ。で、消す。ほんとに声に出し て言いたいのはこの消した部分だ。

  診察代をきくと/七円ですが、ふつうは少しよけいに置いて行
  きますよ、という/

ここまでが前連のつづきだ。このつづきは、お金を払って外へ出ると、夫がいて、めがね はもう直らないこと、それから、車を売ってしまつたし、もうあんたの免許証も使えない、 ことなど(私はたんたんと伝えている)話しながら橋のたもとまで行く。というのが夢に 忠実なもので、題を「めがね」にしようか「橋のたもとまで」にしようかと思いながら読 み返してみたら気に入らないので、

  十円だすと、にこにこしながら/めがねがないと不自由でしょ
  うから/家までおくって行きましょう、という/わたしだった
  らだいじょうぶですからとことわっても/ですが、本人に会っ
  てちゃんと説明して納得させますから/それが医者のぎむです
  からと言い言い/白衣をぬいで/身仕たくしている

とした。この方がすっきりまとまっているし、医者に対する皮肉も利いている。方法も医 者の描写だけなのがいい。題も「医者」とした。(〝亡夫記〟の内「医者」─詩学七月号)

  まちなかの ひとごみのなかで/おとこは そのまま/魚にな
  って/その身を地面にたたきつけている/からだじゅう血だら
  けにして/たたきつけてもたたきつけても/たたきつけきれな
  いものを/身が青くすきとおってしまっても まだ/たたきつ
  けながら/泣いている/ (未完)

これも夢の描写だ。男は私に向ってそうしているらしく、まわりの人達は私を非難の目で 見ている。いいかげんにしてよ!あたしゃこんな男知らないんだからね。あんたもなんの 恨みがあって見ず知らずの者にそんなまねするのよ!と思いながら、立ち去ってしまえば よさそうなものを、そう出来ないで、私はいつまでも男のする事を見ている。という部分 を書きつづけられなくている。多分この男は死んだ夫の変形であり、つきつめれば、もう 一人の私の変形でもあるのだ。が、

そのそばで/わたしは だんだん/乳いろに/にじんでゆく/

なんて逃げるのもいいかな、と思っている。


初出: 『詩学』 「小特集 [ディテールの技] ─ 私の場合」 1992年12月号所載