TALE

 

 

 






てんらん会でなまめかしい男の裸体画をみた。
裸婦画のように椅子に座ってポーズをしている。
ある人に似ている。悲しそうにも見える。
その人のはだかを見たことはないが、
たぶんあんなふうなんだろうと思った。
ふだん気取っているその人を思って、おかしくなった。
そのてんらん会はふつうのてんらん会ではなく、
古い絵を現代の科学で分解するというものだった。
どこがどう分解しておもしろいかわからなかったが、
あんなかっこうの男の裸体画は初めてみたので
それがめずらしかった。

(11月6日に科学博物館で)

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人形使い



文楽芝居を見ているとき、わたしにも、ああした使い手がいて、
いまわたしは、芝居を 見ている仕草をさせられているような気がしてくる。
向こうの人形は美しくて怖い。そう見せているからだ。わたしの使い手だってそういう
気ではあるのだろう。不器用なんだろう。ほら、よくむこうを見といて。
あの人形の心の 中の動かし方まで見ておかなければだめだよ。ほんとに不器用なんだね。
あんたがずうっ とわたしの心の中まで見ようとしなかった間に、
歳月ばっかり過ぎてしまった。あんただ って一生懸命だったんだろうけど。
手足とか目の動かし方に手間どっているうちに、あん たも歳老いてしまったのだろう。

わたしの目が舞台の人形使いに行ってしまう。人形使うのはだめなのに、いい男だね。
ちょっと惜しいね。えっ?何が惜しいのか、わたしにもよく分らないけど。

別の人形に目をやる。わたしは人形に見入る。もう人形しか見えなくなる。

くたびれた。首から上が重い。わたしの使い手に腹が立ってくる。
うしろをふりむいて 顔を見てやりたい。
この使い手の手をふり切って、自分自身の動きで思いきりしっぱたい てやりたい。
そうできたら、さぞせいせいするだろう。

芝居が終って、席を立ってしまうと、もうわたしの使い手はいなくなる。

出口で、さっき、人形しか見えなかった使い手が立っている。
なじみのファンらしい人 にあいさつされたりしている。

バスに乗ると、あとからあの使い手も乗ってきた。
わたしは座れたのに、ずいぶんあと からだったので立っている。
途中で降りて、電車で大阪へ帰るのだろう。

── 「 人形使い 」 2003.3.12. ──

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そらいろの破片



つまづいたひょうしに、そらいろのガラスの破片をひろった。
そのとき、とつぜん、わたしにある少年のことが思い浮んだ。
これは、あの少年の殻の破片かもしれないと思った。
透かしてみると、あの頃のわたしが入っている。
こんな所に囚われていたのだ。

彼はもうそんな殻のことなど忘れているだろう。
そのあともたくさんのいろんな殻を脱いだだろう。
そらいろの破片の中のわたしはなにも知らないで、
わたしと目が合うと、とてもとまどった表情をした。

これ、どうしよう。
まさか持って帰るわけにもいかないし、捨てることもできない。
わたしはそれを空に向けて、おもいきり高くほおり上げた。
もちろん空にはとどかないで、またその辺に落ちるだろう。
そしてこれからずっと、わたしはあの破片のことを気にしながらくらすだろう。

2003.7.9.

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