Epilogue (5)

 








すき間



なわわあんなわわあん、と戸口で呼んでいる
わたしの中からなわわんがするりと出ていった
なわわんの出ていったすき間がくすぐったい
こんなになん十年も生きてるのにわたしの中に
なわわんがいたなんていちども気づかなかった
戸のすき間から外をのぞいてみる
なわわんが呼んだなわわんとにょごにょご言っている
なわわんの出ていったすき間がにょごにょごしている
なわわんがなわわんをつれて帰ってくる
すき間をせいいっぱい明けて待っているのに
なわわんもつれてきたなわわんも知らんぷりしている
なわわんの出ていったすき間がひたひたしてくる
なわわあんなわわあんなわわあん
なわわんたちはからみあいからみあいながら
だんだんひとつになって
なわわあんなわわあんなわわあん
なわわんの出ていったすき間いっぱいなわわあん
なわわあんなわわあんなわわあん
かあかあかあ、と戸口でからすが鳴いている
かあかあかああ、といつまでもよんでいる

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夕食



なべのふたをとると
あたしまだ生煮えよという
今朝からずっと煮ていてもう骨までやわらかく
なっててもいいのに。
一口食べてみる
いたい!
痛かったのは魚の方かわたしの方か
たった一切れの魚を
いつまでも煮ている

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ゆらゆら



蛇のひかりが左の目にささる
蛇のひかりがわたしの左目をひっぱって
天へのぼる

空で
さかさ凧になってゆれている
左の目を

一人
座ってみている

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水晶の話



こっちをいじり
そっちをいじり
水晶の話をする
こっちをいじり
そっちをいじり
水晶の中へ押しこむ
して、
ほら
水晶のむこうからこっちを見ている
あれ
もう出られない
あれは、こっちへ
わたしは、むこうへ

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ほんのみじかいあいだだったけど



にじのおめかけさんになった
ほんのみじかいあいだだったけど
うれしくて高所恐怖症も忘れて
よりそっていた
あとできいても
虹の色のほかは何の色も見えなかったと言うが
わたしが
じぶんでじぶんを透かしてみると
うっすらと虹色している

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重くなる



半ずぼんに下駄ばきで
背中に人形をくくりつけた老人がふたり
橋を渡ってくる
ふたりはのんきそうに歩いてくる
わたしたちは橋のたもとで待っている
もうずいぶん長い時間たつのに
ふたりはなかなか来ない
(そのうちだんだん人形が重くなるんだ)
わたしたちは人形が重くなるのを待っている
わたしたちは両手に小石を持っている
(近くへ来たら石をぶつけるんだ)
わたしたちは待っている

ふたりはのんきそうに歩いてくる
(そのうちだんだん人形が重くなるんだ)
わたしたちの小石がだんだん重くなる
もう、手が持ち上がらないほど小石が重い
(そのうちだんだん人形が重くなるんだ)
わたしたちは
待っている

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向こうへ



柱になわを結わいつけて
ありったけの力で引っぱる
柱はびくともしない
それで安心する
だけど次の日になると
また同じ事をしてしまう

だんだんなわがすりきれてくる
柱はびくともしない

ある日、外から
わたしは腰になわを結わいつけられて
引っぱられている
ぎいっ、とゆらいだ

わたしでもなく、柱でもなく
ぎいっ、とゆらいだものを
向こうへ
ぜんぶ引っぱり込んでいく

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よそゆき



足元から
ぼろぼろな墨色をした影が
立ちあがる
わたしがよそゆき着で出かけるとき
影などどこにもないひる日なか

こどものとき、教室で
静物を描くとき
影もつけなければならなかった
明るい教室の、どこにも影などないのに
うまく描けたと思っても
影をつけられないまま
わたしの絵は出来上がらないまま

こんなふうに立ちあがってしまった影を
気にしいしい
よそゆき着を気にしいしい
わたしは行く

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あこがれ



そのきものを着て出かけてみたい
しゃきっ、としたその色を
どうしてもうまく言えないんだけど
こんな夏の青みがかった夕ぐれ色
それはなんとも言えないいい色なんだ
それを着て、すっと背すじのばして
いま時分の町を歩いてみたい
そのきものは、Kさんのたんすの
いちばん下の引き出しに入っている
Kさんだってまだいちども袖を通したことがないんだ
Kさんとわたしは知り合いではない
通りすがってもあいさつするわけでもない
わたしの方だけ勝手にそのきものにあこがれているだけだ
ある日、とうとう
そのきものを着たKさんを見た
けど、なんだかKさんには似合いすぎていて
ただうす灰色の平凡なものだった
わたしが着ればも少し青みがでてくるのに
と思った

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微熱の中に沈む刃
わたしは微熱と刃のうすい間をうずまいて
まわっている
まわりながら、まわってもまわっても
刃にとびこめないもどかしさが
微熱からあふれる

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つぼ



分裂し始めると
かけだしたくなる、なんて思うまえに
わらわらわらわらかけている
かけながらでも
分裂したひとつもはみださないように気使う
それがいちばん疲れる
分裂しながらかけながら
しまいには海へとびこむしかない
ふだん、わたしは
その海辺をゆっくり歩くのが好きだ
おとなしいひとが
大切なつぼをしずかに磨くように

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知らない道



この頃よく、知らない道を通っている
大きな坂のてっぺんから飛ぶように走り下りる
広い道なのに、わたしの他はだれもいない
いい天気だ
そのうち、つばさみたいに両腕をひろげたりしている
だけど、坂を下りきると
妹たちが、なんでこんなにおくれたのかとおこっている
またあるときは、木の生い茂った中の道を通っている
風が涼しい
まがりくねったりまっすぐになったりして
どこまでもつづいている
なつかしい匂いがする、けど知らない道だ
やはりだれにも出会わない
そうして広い通りへ出る
青山通りへ出た
めったに来ないが
地下鉄の在り処を知っている

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葉っぱ



桐の木の下で
昔の夫と会った
うまいもの買って来たから
帰っていっしょに食べようと言っている
うまいものはうれしいけど
またあんな生活にもどるのはやだな
いいよ、わたしここにいたいから
そう言ったとたん
うまいものとか腹がへったとかいうことがぼやけてきた
だれもいなくなった
首のあたりが痛い
さわると、ひふの下からぐんぐんでようとしている
わたしの初めての葉っぱだ

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こけ



家へ帰ると
三つのひかるものがぎろんしている
しばらく帰らなかったので
こけがはびこって、
それであんなものまで出てきてしまったのだろう
そこいらへんのものをみんなはがして
せんたく機の中へほおりこむ
知らない人がきて
初めて聞く言葉ではなしこむ
どうして初めて聞く言葉がわかるのか
なんてことはその時考えるひまもなにもなく
つい話にむちゅうになってしまって、気がつくと
あたりじゅう水びたしだ
なんだよ、これは!
あんたのせいだぞお!
わたしが日常語でどなったとたん
その人は悲しそうにすうっと消えた
せんたくはいくらやってもきりがなく
だんだんわたしがうす汚れはじめている
三つのひかるものは四つにふえた
彼ら(なのか彼女らなのか)のぎろんは
わたしにはさっぱり理解できない
でんわが鳴っている

受話器の向こうの
ずいぶん遠い雑踏の中から
わかる?
うん
これから法事があって行くけど
いつもどってくるかわからないから
とだけ言って、切れた
さっきの知らない人ではもちろんない
知っている人
といっても、その人がはなしてくれたことだけ
これからどこへ行くのかどこへもどってくることなのか
ほんとは何も知らないのだ
ひかるものが五つにふえている
受話器をもどすのを、忘れていた
せんたくはまだ終らない

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「すき間」2001.3.18

「夕食」 2001.3.19

「ゆらゆら」 2001.3.19

「水晶の話」 2001.3.19

「ほんのみじかいあいだだったけど」 2001.3.19

「重くなる 」「向こうへ 」「よそゆき 」── 初出「詩学」2000年3月号所載 ──

「あこがれ」2001.6.14 初稿

「刃」 2001.6.23 初稿

「つぼ」 2001.7.4 初稿

「知らない道」2001.9.13

「葉っぱ」 2001.8.末

「こけ」2001.11.15

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