Emerge (1)

 








背おっている



まだ背おっている
みんなにじろじろ見られている
いつまで背おっているのよ
だから育たないのよ
と言われている気がする
ちがうのだ
育たないから背おっているのだ
ちゃんと育ったら
おろして自由になれるのだ
早く育てばいいのに

早く育てばいいのに
母の背中でわたしはそう思っていた
でもわたしが育たないうちに
母は死んでしまうのだ
わたしを背おったまま死んでしまうのだ

いつまで背おっているのよ
だから育たないのよ
早く育てばいいのに早く育てばいいのに

母も
わたしも
背おったまま

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蓮田



蓮田の中から首だけ出して
もんくを言っている
足を早めても
首もわたしに沿って動いてくる
蓮田を過ぎるまでだからと思って
足を早めているのに
蓮田はどこまで行っても尽きないで
首はついてくる
こんな首のままで
蓮の花になれないのは
おまえのせいだと言っている
早く蓮田が尽きますように
早く蓮田が尽きますように
いくら行っても行っても
蓮田は尽きないまま
いくらもんくを言っても
花になんかなれるはずない首は
わたしに沿って動いてくる

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うらの山から茶色い茸がでてきて
いちど床やへかかってみたい
というのだ。それで床やへつれて行ったら
床やが言うには、こんなやわらかな頭は怖くて
とてもできないから、万が一のときのために
保険のきく床やへつれて行って
そこできれいに剃ってもらってきたら
うちで天花粉だけ付けるというのはどうでしょう
ということなのだ
それを茸に伝えたら うちへ帰って保険証がある
かどうかきいてくると言って うつむいて帰って行った
あとから思った事だが 茸には何も言わないで
わたしがきれいに洗って焼いて食ってしまえばよかったのだ
惜しいことをした
茸はもう二度と出て来ないだろう
山の中で、だんだんうす黒くなって
腐って消えてしまうだけだろう
しょう油を付けて食ったらうまかったろうにと思うと
茸のためにもその方がどんな
によかったか知れないのにと
いつまでもうじうじ悔んだ
* 保険 …… 健康保険のこと

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わたしも坂を持っている
自分の坂だから
用がなくても散歩のように登り降りする
だが坂の上まで行ってみたことはない
じっと思っていると
坂の上にはきれいな町があるような気がする
そう思って登ってみると
もう少しのところで
坂に足を吸い取られそうになって動けなくなる
だからしばらくじっとしていて下りてくる
坂の上には
わたしが見てはいけないものがあるのかもしれない
それなのに気がつくとまた
そこまで登っている
この坂はなれて調子が分ってきたから
おもしろがってそれをひとり遊びにしている
そのうちそのまま
足から体から頭もみんな吸い取られても
いいと思っている
足を吸い取られそうになるときの様子では
いい気持ちになりそうになるから
そういう坂なのかもしれない
坂の上には何もなくて
ただ風が吹いているだけかもしれない

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春分の日の朝



朝起きたら、きつねになっていた
祖父と祖母が紋付を着て出て行くところだ
障子や壁で仕切られていてもみんな分る
それはきつねになったからだろう
土間のテーブルに
わたしのための朝食が用意してあるのも
見える
他にだれもいない
きつねになったら逢いたいと思っていた者が
いたような気がするが
だから相手はきつねなのだろう
急にきつねになったのでこんがらがっている
うら山へ行ったら逢えるかもしれないと思うが
恐い
それはまだわたしがきつねになり切っていないからだろう
祖父と祖母は紋付なんか着て
どこへ行ったんだろう
みんなはどうしたんだろう
そのうち客でも来たら分るかもしれないが
客が来ても客は
わたしがわたしだって分るだろうか
まず起きて
朝食を食べよう
あとはそれからにしよう

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菓子



のどから手が出て
その手がいくらでも延びて
人をかき分けていって
どこからかその菓子を盗んできた
口へ入れようとしても
のどから出た手がふるえて
うまく口に入らない
その菓子を食べたいなんて
思ったわけでもないのに
のどから出た手は
ふるえがますますはげしくなって
口のまわりで菓子がくずれて
顔中べたべた汚している
そうそう
その菓子のことを思ったのはたしかだ
ずいぶん昔
その菓子をもらったときのこと
それを持ってきてくれた人のこと
ただそれだけなのに
のどから出た手はまだふるえている
その菓子を食べたいなんて
思ったわけでもないのに
その菓子が今もあるなんて
思わなかったのに
のどから出た手だけが
いつまでもふるえが止まらない

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方向



空を見上げると、縞のかっぱに三度笠の男が
空を渡って行く。
いきでいなせでかっこいいと思いながら見ていたが、
よく見ると、
ほほが赤黒く、火吹男面だ。
旅から旅への暮しだから仕方ないのか。
これから寒くなるのに、北を指しているのは、
何かの意地か、それともただの方向音痴か。
ひょうひょうと行ってしまった。
そして、気がつくと、
わたしの中の地図が正常になっていた。
初めて地図を習ったとき、
南向きの教室だったので、
上が北と理くつではわかっていても、
地図を手放すと、
どうしても北海道は南になってしまったのだ。
今は、あの火吹男面の男が行った方に北海道があるのだと、
ちゃんとわかる。
すると、こんどは西と東がおかしくなってしまった。
今までは、太平洋は西側にあり
日本海は東にあるとなんの疑いもなく、そう思っていて、
だから、太平洋の向こうの西洋からみれば
日本は極東なのだと納得していたのに、
これではどう見てもアジアは西であり
ヨーロッパは東になるのに、だれもなんとも思わないの
だろうか。だんだん暗くなってきた。
寒くもなってきた。あの男の姿はもう
見えなくなってしまった。
ほうい!
ほうい!

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砂道



砂道を、わたしとあきちゃんが歩いている。
向こうから、ぜん子さんが来る。
「下向けえ!」とあきちゃんが言って、
二人は深く首をたれて、前を見ないで歩いて行く。
しばらくして、頭の上から、ぜん子さんの声が、
「あき子ちゃん! そんな遠くの方の者と
あそばねえでうちのかん子とあそべ!」
と怒鳴って、行ってしまう。
あとで二人で舌をぺろっと出して、声を殺して笑う。
砂道は、月に一度、砂敷人夫達が、リヤカーで砂を持って
来て、道に撒いてきれいにする。
この美しい道沿いに、ぜん子さんの家があるのが、
不思議で、怖かった。

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駅のホームで電車を待っているとき
人が歩いてくると
その人を突き落しそうになる
だめだめだめだめ
腕をうしろへ引いて緊張する
それは見知らぬ人で
わたしが今そういう恐怖の中にいる事なんか
気付くはずもない
その人がずうっと先の方へ行ってしまうと
すとんと楽になる
電車が来る

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出発



わたしは出発した
一生懸命歩いている
知った人がいっぱい歩いているのに
だれも何も言ってくれない
ふつうなら
やっぱり行くのかい、とか
とうとう行ってしまうんだね、とか
何とか言ってくれてもいいのに
わたしの姿なんか見えないかのように
通りすぎ
追い越して行く
わたしはだんだんきまりが悪くなってくる
いっそこっちから
行くからね
と言ってみようかと思うが
言葉が出ない
わたしは一生懸命歩いている
わたしは出発したのだ
歩いていくのは儀式なのだ
言葉をかけないのは
それが儀式の決りだからだ
わたしは一生懸命歩いている
歩いて歩いて
もう村を離れるというとき
つまづいてころんだ
だれにも気づかれないうちに
すばやく起き上って
靴のひもを直す

靴のひもをていねいに結んでいる
わたしは出発するのだ
これから出発するのだ
これから






もう長い間、北枕で寝ていたのだが、飽きたので、
南枕で寝てみた。そしたら、なんだか、部屋全体が、
新しく様変りしたように思えてきて、うれしくなった。
ただそれだけのこと、なのだが。

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白鯨



うしろから来て
いっしょに行ってやるという
知ってはいるが知り合いというほどではない
やだなと思いながらだまっている
なんにもないところだねという
昔からこうなのだと思いながらだまっている
ずいぶん淋しいところなんだねという
わたしにはべつにと思いながらだまっている
橋のたもとまで来ると
人が大勢集ってさわいでいる
生け取りにしたって始末に負えないし
ほっといたら死んじゃうだろうし
わいわいわいわいさわいでいる
川で
白鯨が
きゅうくつそうにじっとしている
そう、わたしはこれに会いに来たのだ
白鯨のゆめを見たのだ
だけどこれではしようがない
わたしは橋を渡る
あれぇ、白鯨がだんだん透けて
あれぇ、泡になってしまうよ
こんどはそういってさわいでいる
わたしは先を急ぐふりをして足を速める
どこまで行く気なのという
どこへも行きやしない
ここはわたしの領域なのだから
と思いながらだまっている
だんだん暗くなってくる
もう少しで
あんたも何もかも無になるのだ
わたしだけになるのだ
そしたら引き返すのだ
闇の中に
白鯨は白くいるのだ
わたしは白鯨に会うのだ
と思いながらだまっている
だんだん闇になる
だんだん無音になる
そろそろ白鯨は元の姿にもどっているだろう

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わたしの中の階段を
ぎしぎし登ってくる音がする
階段があることなど今まで知らなかったのに
こんどは上の方からぎしぎし下りてくる
ぎしぎしぎしぎし
こんな真夜中
何をしているのだろう
階段は方々にあるらしく
ぎしぎしぎしぎしあっちこっちで音がする
きっと
ひるま無くした鋏をさがしているのだ
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そこまで来ると
左を向いて
手を合わせておじぎをしている
そこに何かあるわけでもなく
ただ道の途中

そういう夢を見る
同じ夢を
忘れた頃にまた見る
そのときは
祈るか願うか
許し乞いでもしているのか
目覚めれば
手を合わせておじぎしていたことしか覚えていない
場所がどこかもわからない

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通りに、小さな神社があって、煌々と灯がともっている。
人が大勢いて、大きな鈴をふったり、
手を合わせて拝んだりしている。
よく通る道なのに、こんなところに神社があるなんて、
知らなかった。
わたしも一通り同じようにしてから、通り過ぎると、
左口が、その神社の住いになっている。
それは、やな女の家なのだ。
みんなに、さわらぬ神にたたりなし、
と言われて、敬遠されている女の家なのだ。危い危い。
大急ぎで通り過ぎようとしていると、その女が出て来て
あれえ、よく来てくれたねえ、と言いながら、
家の中に引っぱり込まれて、
お祝いのお餅よ、持って行って、と言いながら、
袋をくれた。たしかに餅らしい。まだあったかい。
搗きたてよ、と、にこにこしながらくれた。
このにこにこがくせものなのだ。
あっ、大きいから重いでしょうけど、途中で開けてみたり、
捨てたりしちゃだめよ。罰があたるからね。
ちゃんと家まで持って帰って、
ていねいに食べてね、と言われた。
帰る道々、餅はだんだん重くなる。
だんだん固くなっているらしく、
背負っている背中に当って、痛い。
もうまるで石を背負っているようだ。
罰があたるからね。さっきの言葉が怖ろしい。
ちゃんと家まで持って帰って、
ていねいに食べてね。
餅はもう石になってしまっているかもしれないのに。
さわらぬ神にたたりなし。気をつけていたのに。
そう言えば、あんなに大勢人がいたのに、
わたしの知っている顔は一人もいなかった。
みんな知っていたのだ。あの神社のことも、
祭日のことも。
さわってしまったのだ、わたしは。
いつの間にか、知らない道を歩いている。
気が転倒してしまって、道に迷ったのだ。
罰があたるからね罰があたるからね。
あの女のあざ笑う声が聞えてくるようだ。

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背中



ね、この背中の虫とってよ
虫なんかいないよ
いるわよ
いまからだの中から出て行ったのよ
ほら、早くとってよ

いくらたのんでも
動こうとする気配もないし
もう返事もしない

虫なんかほんとにいないのかもしれない
ひとも誰もいないのかもしれない
わたしの背中だけが
つるんとだまっているだけなのかもしれない
なのに
背中を、ほら
はいまわっている

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旗のようなものが



指の長いそよそよした手がもう一本
耳から生えているもの
目じりから生えているもの
首の付根から生えているもの
腰の脇からとか
ひざの横から生えた長い長い手を
思い思いの旗のように高くふりかざして
叫んでいる
わたしだわたしだわたしだ
わたしがわたしがわたしがわたしが
そういう渦の中にいて
わたしにはそういう手がないことに
今頃気がついた
しようがないから
おそるおそる左手を上げて
わたしもと叫んでみたが
声にならない
わたしだわたしだわたしだ
わたしがわたしがわたしがわたしが
叫びはだんだん大風を引き起し
嵐になって
わたしだわたしだわたしだ
わたしがわたしがわたしがわたしが
渦はますます大きくなっていく

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馬車の音



はっしゃはっしゃはっしゃ
あの馬車が駆けてくる
はっしゃはっしゃはっしゃ
あの馬車はなかなかここに着かない
はっしゃはっしゃはっしゃ
馬車の音を聞きながら
うとうとしてる間に
はっしゃはっしゃはっしゃ
はっしゃはっしゃはっしゃ
馬車は通りすぎていった
はっしゃはっしゃはっしゃ
馬車はだんだん遠ざかる
はっしゃはっしゃはっしゃ
はっしゃはっしゃはっしゃ
こんどもまたわたしは発見されないまま
だからこのゆめから覚められない

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がんぼう



ずるっ、と引き上げられて
びしょぬれたまま
びしょっ、と暗い箱に押し込まれて

あれからどのくらい時間がたったのだろう
からだが少しかわいてきたなと思っていると
箱の上からばさっ、と水をかけられて
またびしょぬれる

腹がへってきたなと思っていると
ざあざあ雨の音がして
箱がずぶぬれて
箱の中が洪水になって

わたしは泳いでいる
はてしなく暗い中をどこまでも
泳ぎながら
ずるっ、と引き上げられて
びしょっ、と
箱に入れられる記憶を追っている

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「背おっている」「蓮田」2007.3.3.
「坂」「春分の日の朝」2007.3.21.
「菓子」……草稿2006.12.14.、完稿2007.5.14.
「砂道」……2007.10.16.
「気」  ……2007.10.12.
「出発」……2007.10.31.〔初稿は 10.29 に散文詩形式で書かれた〕
「旅」  ……2007.10.30.
「白鯨」……2007.11.8.
「鋏」・「跡」2008.1.11.
「背中」2008.5.14.  
「旗のようなものが」2008.5.11.  
「馬車の音」2008.5.9.
「祭日」2008.1.13.
「方向」……2006.11.17.
「茸」2007.3.5.
「鋏」・「跡」2008.1.11.
「がんぼう」……2008.7.31.

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