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親しかった者たちにかこまれて
わたしはつれて行かれる
みんなわいわいさわぎながら
わたしだけうつむいて花畑の中の道を行く
花畑のちょうどまん中あたりで行列は止って
一人が杖ぐらいの長さのマッチ棒を
わたしの頭にしゅっとこすった
とたん、わたしは消えた
わたしは消えたのに
まだその風景をおぼえている
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追いつこうと思って走るかたちに片足あげて
次の一歩のもう片足をあげようとしたら
まえの足が地にとどかない
地球からはみ出すところだったのだ
ふり返ってみると
たしかに地球はまるいことがわかった
そして思ったより小さいことも
追いかけていたものはどこかへ行ってしまった
一歩うしろへ足をそろえて止って
やりなおしだ
※編者註 算数などでは、両足で交互に歩を進める場合、
片足分の歩幅を「半歩」というが、一般には、
それを「一歩」と数えることが少なくない。
最近のTV番組ではほとんど片足分=1歩である。
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お月さまが
大きなくらげになって空にある
お月さまってこんなにやわらかいものだなんて知らなかった
と言うと
ここは地のはてですからね
とお月さまが言った
あなたの所からはどんなふうに見えますか
ときくから
もっとずっと小さくて
宝石のように固そうに見えますと言うと
お月さまはうふふと笑いながら身をゆすった
わたしもまねして
うふふと身をゆすると
わたしもだんだんくらげになっていく
ここは地のはてですからね
うふふ
地のはては
とても静かなところだ
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つうつう小声で言いながら
うっすらとにじんでひろがってくるのを
はじめはただ見ていたが
だんだん収拾がつかなくなりそうで
いっそ縛ってしまおうと思ったとたん
わたしが縛られている
そして
つうつう言いながら
うっすらとにじんで
ひろがってくるのを
縛られたまま
見ている
つうつうつうつう
つうつう
もう終ることなく
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ふたつの顔が
宙に浮いている
その下から首が二本
ひものように
もつれてこんがらがっている
ほどいてやりたくなるが
手を出せば
こっちの手もいっしょにもつれてしまいそうだ
風が吹くと
ふたつの顔はぶつかりあって
かちんかちんいう音を
いつまでも
夜の中に響かせて
もつれている
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寝すぎた、と思っていると
もっと年老ったわたしが
乳母車を押して行く
その中には
まだ一度も目を覚したことのないわたしが
乗っている
ずっと先のいつの日か
あれが目を覚したときも、きっと
寝すぎた、と思うだろう
幾度くりかえしても
わたしは目覚めるたび
百年過ぎてしまっているのだ
*註:「年老った」=としとった
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大きな月が出ていて
その中に
地球がまるごと映っている
そのわたしの家のあたりがさわがしい
ずいぶん人が集ったりしているのに
わたしは家へ帰る道を忘れてしまったので
帰れない
もうずいぶん長いこと
ひとりっきりで
ただ月を見ている
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歩いているうちに
しっぽが川になっている
ざわざわざわざわぴたぴた川音にまじって
こうやっていくら歩いて行ったって
海へ出ることなんかできないのに
と泣きごとを言っている
海へ出たいのは
川になってしまったしっぽであって
わたしではない
そう思いながら気にしないように歩いていると
それがだんだん重くなる
ほら、
いくらかっこつけたって
ほんとは自分が海へ出たいのよ
それに気づいてしまったから
しっぽが重くなった気がするだけよ
そう言いながらざわざわざわざわぴたぴた
だんだんもっと重くなる
ふりむけば
川になってしまったしっぽの中に
身なげしてしまいそうな気がして
いっしょうけんめい前を向いて歩いている
ざわざわざわざわぴたぴた
重くなりすぎて
もうなんにも言わなくなってしまったしっぽを
引きずって歩いている
わたしは
海へ向っているのだろうか
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ごうごう風が吹いているのに
わたしは動けない
もがいてももがいても動けない
こんなにむだ花ばっかりあとからあとから
咲くそばから散ってしまうのに
なのにわたしは動けない
なにも悪いことなんかしないのに
なんのいんがで木になんぞなってしまったのか
ただうっとうしいだけのこんな花なんぞと思うのに
あとからあとから咲いてくる
うちへ帰りたい
帰って
ゆっくりねむりたい
なのに
立ったまま
からだがちっとも動かない
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わたしの中のとんねるを
小さな音たてて歩いてくる
いくら歩いたってわたしの外へは出られないのに。
いつも気にしているわけではないが
気づいてしまうと
じっとしていられなくなる
いまならまだ
間に合いそうで
わたしはわたしのとんねるを歩き出す
いくら歩いたってわたしも
外へは出られないのに。
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まだ足が青いうちに
どうにかしてしまったほうがいいよ
足まで小麦色になってしまってからでは
どうにもならなくなるからね
プライドだとか権利だとか言いだすからね
だんだん大喰いになるからね
まだ足が青い今のうちに
早くしたほうがいいよ
つぼみなんかつき始めたら大ごとだからね
花なんか咲いてしまったら
もうおしまいだからね
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黒い箱膳に
あかいお椀がふたつ
あおものの載った白い小皿がひとつ
それがひとりひとりの前にあって
食事をしているとき
だけど、ぎゅういちの詩はいいよな
とひとりが言う
いい
いい
と返事するものが幾人かいる
ぎゅういち
わたしもその名前を知っている
詩も読んでいる
わたしもいいと思ったのに
その名前の字もどんな詩かも思いだせない
黒い箱膳を持って
暗い道をひとりで帰るとき
うしろの方で
だけど、ぎゅういちの詩なんか好きになると
ぎゅういちみたいに気が狂うからね
うん
うん
という話声がする
ぎゅういち
ぎゅういち
しーっ、
ぎゅういちに聞かれたら怖いからね
箱膳を持っている手が痛くなってきた
それで箱膳を持ってきてしまったことが気になった
だれもそれを咎めなかった
ぎゅういち
ぎゅういち
あれは何の会だったんだろう
うしろの話声はまだ
ぎゅういちぎゅういちと言っている
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小学校の同窓会の席に知らない男がいる
卒業してからもう何十年もたっているから
誰なのかちょっとわからなくなっている者もいるが
それでも少したつと、あれだと分ってくるのに
その男だけは皆目わからない
それに少し浮き上がっているのだ
親しい男の子(こういう言い方、同級生だから)にきいたら
おれも分らないから、失礼ですが‥‥と酒をつぎつぎ
きいたら、きむらさぶろうですと言うんだ
三郎…? (変りすぎだ)
と言っても今おまえが思った三郎じゃねえぞ
でも三郎って一人しかいなかったよね、
だからおかしいだろ、三郎にはおととい会ったよ
それで今日は来られないと言っていたんだ
じゃだれよ
おれにも分らねえ
どちらの三郎さんですかときいてきなよ
そんなこときけるかあ、おめえきいて来いよ
きむらさぶろうさんは学校の先生か、その位は
偉くなっているように見える
一つの列のまん中へんにい
て まわりにはきかなくても分るやつらが
わいわいさわいでいるのに
だれもきむらさぶろうさんには話もかけない
優等生組もだれ一人そばへ行かない
こんないなかの小学校の同窓会に
どこから来たのか
なんで来たのか
きむらさぶろうさんは
ひとり楽しそうに飲んでいる
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蝋燭が
身をよじりよじり変形していく姿を
見ている
蝋燭は
蝋をたらしたらし
母の身になる
伯母の身になる
わたしの身になる
きりがない
さっき電話で言われたことを
考えなければならない
そういうときだけいちいち言ってくる
まだわたしの身のまま
蝋燭は
からだ中こぶだらけにして
きりがない
蝋燭が燃えつきるまえに
考えなければ
どうどうめぐりのまま
きりがない
*「蝋」- ここでは俗字を用いているが、原稿では本字体である
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白い茶碗になっている
すでに縁が欠けている
米つぶや小銭をなげ入れて行く者がいる
ほんとは水がほしいのにと思いながら
そのくせ小銭をかぞえながら
うつむいて
待っている
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風呂桶の底に
あお苔がびっしり生えている
かね箆ではがしていると
はがすことに夢中になって
だんだん快感状態になっている
とき、玄関に人の声がした
こんなときにかぎって!どこのばかが!
腹立てながら無視して苔をはがす
訪問者はしつっこく声をかけていたが
とうとうあきらめて帰ったらしい
苔をはがし終えて
風呂桶に水をいっぱい張って
ひと息つきながら思い出したのだ
今日は客が来ることになっていたことを
あれはその客だったのだ
風呂桶の新しい水の底には
もう新しい苔がびっしり生えている
すぐそこの橋の上で
世にも怖しいものを見てしまったような吠え方で
犬が吠えている
わたしは家の中でそれを聞いているだけなのだが
あの犬は
体中あお苔がびっしり生えているあお犬なんだろう
橋のたもとの米屋のあか犬でも見てしまったんだろう
*「かね箆」…… 金箆
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のどがかわいたまま
水になってぽとぽとぽとぽと落ちていく
もしコップがあったなら
そのコップいっぱいに満たして
それを飲むこともできるのに
のどがかわいたまま
水になって
ぽとぽとぽとぽと落ちていって
土間に吸い取られている
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だぶだぶの灰色の衣を着た人が
前を歩いている
あの衣が孕む風に吸い取られて
その中にすっぽり入ってしまいそうで
どきどきしながら歩いている
ほんとは
わたしを吸い込みたがっているようで
吸い込まれてしまったら
もとの自分なんか忘れてしまって
わたしがあんなふうに歩いているのだろう
ふうっと、気がつくと
その人はいなくなっていて
わたし一人が歩いている
着流しに袢纏を引っかけて、帽子かぶった男が来た。
なんだあ、と聞いたら、逢いに来たんだ、と言った。もう死んだ、
と言ってやったら、かわいそうなことした、と言って、
しをしを帰って行った。
ここにはわたししかいないのに、
なんのまねだか、もうずいぶん前にも、
ああして来たことがある。
そのときも、同じような会話して、同じように帰って行った。
と気づいたのは、日が暮れて、
台所でやさいを切ざみながらだ。
*「切ざみ」…… きざみ
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梯子になって、古い家の軒に掛かっていると、
やねうらからあお鬼が顔だした。
ひと晩じゅう、
おまえが風にゆれる音がうるさくて眠れやしない。
いつまで未練たらしく何を待っているのか、
と寒そうにふるえている。
そっちこそ、いつまであおいままでいるんだ、
と思うと、くやし涙がでてきた。
梯子になんかなって待っているのは、
そっちが早くいなくなればいいと思っているからだ、
と言おうとしたが、声が出ない。
西の方から、てれとこてれとこてれとこ、
陰気な音楽が近づいてくる。
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衿首のあたりがもぞもぞするので、衿をひらきぐあいにしてさわってみると、
ぷちゅっ、としたものができている。さわってみても
痛くもなんともないが、さわっているうちに、まわりがだんだんも
り上ってきて、乳房のかたちになった。あれぇっ、と思って、
右側の衿首もさわってみると、同じように ぷちゅっ、
としたものがあって、まわりがもり上ってきている。
乳房といっても、まだこどもの初まりのもののようではある。
こんなところに乳房ができてしまってと思いながら、胸にさわってみると、
それはちゃんとある。乳房が四つにもなってしまってと思いながら、
昔家にいた山羊がうかんできた。
わたしはこのまま山羊になってしまうのかもしれない。
わたしはいま、三人連れでにぎやかな夜店の通りを歩いている。
そばにいる女の連れに乳房のことを言って、
見せると、連れは、先を歩いているも一人の連れの男にそのことを話した。
するとその男は怒ったように、そんな話はこんな所でするものじゃないと言って、
どんどん先へ行ってしまった。
だんごやの店の前に来た。
ねえ、くたびれたから、だんご買って帰ってお茶でも飲も
と言って、女の連れはだんごを買っている。
ほんとにくたびれた。
家へ帰って、だんごを食べられるだろうか。
その前に、歩きながら山羊になってしまうようなことはないだろうか。
早く帰りたい。
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「思い出」「理解」「地のはて」2005.8.6.
「つうつう」「裏庭」2005.8.25.
「百年目」2005.9.29.
「月見」2005.9.28.
「海へ」「木」2005.10.18.
「あし音」2005.11.9.
「立ち話」「ぎゅういち」2006.1.31.
「同窓会」 2006.3.3 ── ※ 8-9行目、改行箇所を訂正
「修羅」2006.3.5.、「所在」2006.3.16.
「あお苔」2006.8.31.、「土間」2006.8.4.
「寒い日」2006.10.5. 「逢いに来た」2006.10.10.
「あお鬼」2006.10.23.
「山羊」2006.11.8.